千葉県 サザンドラさんのお話
息子が発達障がいと疑われたのは、市の1歳半検診の時に指差しができないという事がきっかけでした。私は息子の行動に「ん?」と感じでいたのでショックというより腑に落ちた感覚でした。そのタイミングで主人の海外赴任が決まっていたので、シンガポール生活がスタートしました。
初めての海外生活、障がい者のコミュニティなど不安もありましたが、息子は幼児教室→日系インターの幼稚園へと通うことができました。ただ、『じっと座っていられない』『指示を聞くことができない』等々、問題行動が沢山ありました。そして息子は全く発語できていなかった為、言葉でのコミュニケーションが困難でした。療育としてSTを受けていましたが、発語もない息子には、もっと別のアプローチがあるんじゃないか、息子の未来のために親として何が出来るのかと模索していたところABA療育の指導をしている上原先生に出会いました。
初めは、椅子に落ち着いて座ることや、ボール投げなどを教えようとしても同じ場所にじっと立っていられない、自転車は座ることすらせず泣いて嫌がる時期もありました。言葉の表出も、英語と日本語の造語のようなものが混ざっていて理解してあげることができず歯痒い日々を送っていたのを思い出されます。そして課題を毎週こなし足踏み状態で中々進歩できない時期もありましたが、先生に「焦らない」「スモールステップ」と言われ続けていくうちに息子が『色や形の名前』をスムーズに言えるようになった時はとても感動的でした。先生の「できないんじゃない、覚え方がユニークなだけ」というお言葉に救われ、つまずいた時も乗り越えることができたんだと思います。
そして、少しずつ息子の成長を感じている中、幼稚園の年長へ進級するタイミングで日本へ本帰国しました。ガラッと生活が変わり、息子は、幼稚園で意味不明な言葉を発し、自分勝手な行動をするようになりました。日本人である私自身が日本へのカルチャーショックを受けたので息子にとっては計り知れないものだったんだと思います。療育機関にも通いましたが、とても形式的で成長にはつながらない場に感じました。それと同時にABAに出会えていて良かったと実感しました。
そこから、英語環境だった息子と入学までにひらがなを覚えようと目標をたて頑張りました。そして、読み書き(ひらがな・カタカナ・漢字・数字)、ルールのある遊び(トランプ・ボードゲーム)、運動(自転車・なわとび)、図画工作(はさみ・塗り絵)など幅広くできる事が増えました。初めは、強化子目当てでしたが、スキルを習得すると自ら努力しようという姿勢も芽生えました。
会話は、まだまだ不十分ですが小学校の勉強も意欲的になり、字を書いたり計算をしたり、図工で絵を描き創作し、学ぶことを楽しんでいます。次は、忘れてしまった英語を勉強したいそうです。学校以外では、公文に通いながら、今学年からはスマイルゼミにチャレンジしています。そして今はコロナ禍で難しい状況ですが、サッカー教室に加入しています。息子の世界も少しずつ広がりました。
まだまだ、子育ての真っ最中で道のりは長いですが、息子の笑顔が続くよう、時に学んだABA療法を用いながら、親である私たちはこれからもサポートしていくつもりです。 最後に、上原先生に出会い「諦めていたこと」が「出来る」に変わり、ポジティブな子育てができるようになりました。気持ちの変化が一番大きかったです。本当にありがとうございました。