神奈川県 ひーちゃん君のお話

上の子が女の子だったので、息子を産み育て始めてから、男女の発育はこうも違うのかと面食らう日々を過ごしておりました。1歳までは夜中も1時間毎に起きる、首を右側ばかり向けて寝たがる(現在はかなりよくなってはいますが、未だ頭の形はおかしいです)。

ABAを始めて安心してできるようになった家族旅行

一応定型通りに、1歳を越えた辺りから歩くように成長はしていましたが、辿々しい事が甚だしく、また、舌を出したまま歩く姿は母親として漠然とした心配が尽きない日々でした。情緒的な部分もどこかぼーっとしている子供でしたが、2歳の誕生日を迎える頃に突然覚醒スイッチが入ったかのようにシャキッとした面持ちになるも、そこから日々の癇癪が始まりました。

「これは俗に言うイヤイヤ期なのでしょうがない」と思うも、その頃に私自身が下の子供を出産したので、乳児とともに日々怪獣のように荒れ狂い、道端に寝転びながら暴れている息子と過ごす事は阿闍梨になるための修行に匹敵するのではないかというくらいの日々でした。乳児を抱っこし、息子とは手を繋ぎながら、神社仏閣を見つけると神様に、「息子の笑顔をもっと見せてください」と手を合わせることが多かったことも思い出されます。そうして、私自身が日々感じる息子への「発達に異常があるのではないか?」という疑問は日々大きくなっていきましたが、夫はそうは思わず、そのころは最も夫婦として考えが離れてしまい苦しい時代でした。

3歳児健診の時には、私自身が限界に近い状態で、こちらからおかしいと申し出て助けを求める形となり、最寄りの療育センターにて自閉症スペクトラムの診断をもらい、そのまま早期療育という流れになりました。そして、幼稚園も入園という運びになりました。この頃には、バスや電車等の公共の乗り物にも本人が嫌がり乗車することができず、こちらも流石に焦り、絶叫する息子を抱えながら無理やり電車に慣れるまで乗せたりしていました。

1年半習っているピアノ

療育センターのプログラムに期待はしていましたが、息子は変わらず癇癪を日々起こし、根本的な私の悩みは尽きないという頃に上原先生から、小児科医である佐々木匡子先生が主催するABA勉強会を紹介していただきました。これが私のABAとの関わりのスタート地点になりますが、勉強会に参加させていただいたことで、私も一旦落ち着き、息子もほんのわずかの間は落ち着いていたように見えました。しかし、それは本当に束の間であって、息子が癇癪を起こし、食器皿をテレビに投げつけ、テレビを壊してしまうという事件が起きました。その瞬間に、私は上原先生に電子メールを泣きながら書いたと思います。(注:この時点で、佐々木先生の勉強会に出席させていただいてから、半年は経過していたと思います。)佐々木先生自身から、定期コンサルの内容や必要性は伺っておりましたが、私自身が一度佐々木先生とお話することができたということでメンタルは一時的に整い、息子もその時点では落ち着いて見えたので、直ぐに定期コンサルを受けたいという気持ちにはならなかった記憶があります。

ここで話は少し遡りますが、私と上原先生はそもそも学生時代の友人であり、SNS等でお互いの近況を何となく報告し合う程度のお付き合いでしたが、その関係は切れることなく続いておりました。息子が幼稚園に入園して間もないころに、私と上原先生の間に立つ人がいて、そこで私も初めて先生が心理系のお仕事をしていると漠然と聞いていた所から、自閉症関係のお仕事をしていらっしゃることを知り、そのタイミングで数回メールでのやり取りをした記憶はあります。しかし、そこからその時点では息子を診てもらいたいという感情には至らず、今にして思うと友人故に遠慮をしていたり、まだ自分で頑張れると思っていたかもしれません。

家族で楽しめるようになったカラオケ

話は戻ります。多分、当時の私にとって上原先生に連絡するということは最後の手段であったと思います。潜在的に最終兵器と思っていたのかもしれません。とにかく、私が出したSOS を上原先生は汲み取ってくださり、息子もABAを始めることになりました。

セラピー自体を進める毎に感じていったことは、ABAの課題によって息子と初めて向き合って関わりを持てるようになったことです。それまでは、私自身も感情的になることが多く、それが疲弊してしまう原因だったということに気が付き、ほめる→できるようになる→笑顔になるという極めて良い循環が生まれていったと思います。もちろんそういう流れに至るまでに、時には心を鬼にして息子と戦うことも多々ありましたし、一朝一夕ですぐにできたわけでもありませんが。課題を通してコミュニケーションを図ることができたのは、それまでにない、母としての一番の喜びだったと思います。あとは、定期コンサルティングのペースが、それまで神仏に祈っていた私の精神が迷いなく毎日を過ごせる安心感を与え、もうその頃は手を合わせることもなくなっていました。

とにかく、そうして私だけでなく、夫はもちろん、息子の姉である娘も時間をかけてABAの技術を習得していった結果が、今現在につながり、一時は怒号と泣き声ばかりが響いていた我が家にも、笑い声が増えて楽しい時間が増えていきました。学校との連携に際しても、上原先生からアドバイスを頂くことによって円滑に話ができ、信頼関係を築くこともできています。課題として始めた父と息子のキャッチボールも今では週末の楽しみの一つになっているようです。息子自身も、道端で転がって暴れる→道端で靴を脱いで逃げる→私の顔に唾を吹きつける→大きな声で怒鳴り、泣く→バカ等と悪態をつく→白目を剥く、といったような癇癪から、上原先生風に表現すると姿形を変えていきました。未だ予期せぬ出来事には弱いところがあるものの、先生から教えていただたいた方法で一貫してこれからも対処していきたいと思っています。

息子の今現在は、習い事として塾とラグビーとピアノ及び歌を頑張っています。この習い事も全て、ABAのメソッドに基づいて慣れていき、今は楽しく学べているようです。学校では、挨拶が素晴らしいと、いつも色々な先生から言われています。また、レストラン等で食事を取ったり、カラオケに行ったりと何気ない家族の日常を楽しめたり、国内外の旅行にも、以前のような心配が嘘のように本人も楽しみながら行けるようになりました。旅行先等でのプール遊びもABAに則り、少しずつ課題を作り、出来るようになる繰り返しの先に、本人にとって本物の強化子(泳げるようになると言う)が存在することも、彼自身も少しづつ肌で感じてきているように思います。

色々と乗り越えて好きになったラグビー

最後に、この数年間のABAを学ぶ時間は、私達家族にとってかけがいのないものになりました。息子は本来笑顔が本当にかわいい子です。上原先生には息子の笑顔を始め、私達家族全員の本来あったであろう「笑顔」を取り戻して下さりました。今後も成長していく息子をまだまだサポートしなければなりませんが、私達にはABAと言う宝物があるので、恐れず前を向いて息子と一緒に歩いていこうと思います。自閉症の子は、少し育てていくのにコツがいるとは思いますが、何かできた時の喜び、感動は他の子より勝ると思います!ABAをすることで、そう言ったギフトを受け取ることができます。

上原先生、本当にどうも有難うございました!